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今月の言葉 
(2012年  4月)
仏 教 気 功

仏教気功は密教の流れ禅の流れとふたつに分けられます。
大変おおざっぱに言いますと、密教はどんどん気を上げていって頭を天に開いていく
「即身成仏」です自分が神に近づいていくのですね。
そのために宇宙と「春」してしまうー「物と春」という春には恋情色情の意味もありますーので、
気をいっぱいにひろげて外宇宙と融合するという気功をします。
それに対して禅は気を落としていって、足元から地と溶け合っていく、
「身心脱落」自然に帰ってしまうのです。
中には「禅密功」のように欲張って両方やるのもある。下げたり上げたりして気持ちいいのです。

そういうふうにして何を目指すのかというと
「明心見性」、つまり心を鏡のように明らかにして本性をみる
そして自分の中の仏性を見出していくというのが結局目標ということになるでしょう。

仏教の中にも救済宗教のタイプがありますが、
そうではなくて自分の心身を鍛錬して神に近づくか自然に近づくかしかないと
考える仏教はみな中身は気功です。
瞑想が中心になりますが、動功もあります。

− 『気功への道』 津村 喬 著 より −
創元社  定価 1,500円
 
(2012年  3月)
インドに行ってきました。
敬虔な祈りの世界を見せていただきました。
リシケシ   ベナレス  ブッダガヤ
     
     
  私はもう老い朽ち、齢をかさね老衰し、人生の旅路を通り過ぎ、老齢に達した。
わが齢は八十となった。たとえば古ぼけた車が革紐の助けによってやっと動いていくように、
おそらく私の身体も革紐の助けによってもっているのだ。
・・・・・・・・・・
愛しく気に入っているすべての人々とも、やがては、生別し、死別し、(居場所を)異にするに至る。
・・・・・・・・・・
アーナンダよ。ヴェーサーリーは楽しい。ウデーナ霊樹の地は楽しい。
ゴータマカ霊樹の地は楽しい。七つのマンゴーの地は楽しい。
『楽しい』とは『愛しい』という意味
・・・・・・・・・・
《世界は美しいもので、人間のいのちは甘美なものだ》
仏教は[一切皆苦]と説くが、その苦に満ちた世界を味わい深く、人生を愛しいものにするのは、
己の心である― それこそがブッダの教えであるように思う。

-シルクロードをゆく  ブッダの旅路15-  産経新聞より
 
    (2012年  2月)
                 タット・トヴァム・アシ(汝はそれである)

  ウッダーラカ・アールニ仙はその子シュヴェータケートゥに、現象世界の諸存在がいろいろに呼ばれるが、
  それらはすべてことばによる表示に過ぎず、その本質は唯一の実体である有(サット)にほかならないことを
  教える。そして、この有からどのようにして現象世界が成立するかを示し、さらにこの有がアートマンに
  ほかならないことを、ウパニシャッドの名言として知られる、「汝はそれである(タット・トヴァム・アシ)」の言葉
  で開示する。
  「わが子よ、蜜蜂たちは蜜を作り、いろいろな木の花の液汁を集めて、これをひとつのものとする。それらの
  花の液汁がそのひとつのもののなかで、『私はこれこれの木の花の汁である』『私はこれこれの木の花の液汁
  である』と分別されないのと同じように、わが子よ、この世のあらゆる生き物は有に入ったとき、『わたしは有に
  入っているのだ』と知らないのである・・・この微細なるもの、この世のすべてのものはこの有を本質としている。
  それが真実に存在するものである。それはアートマンである。シュヴェータケートゥよ、汝はそれである。」
                            ・・・・・・・・・・・・・・
  またたくさんの河川の水は流れて大海に帰入するが、大海の中でそれぞれがどの河川の水かはまったく分別
  できない。このように一切の生類は有から出て、有に帰入するのであるけれども、有から現れたという自覚も
  知識もないままに生存を続けている。このように自然界にあるもの、客観とわれわれの個我は、つまるところ
  最究極者である有(サット)から開展し現われ出たものであるが、この有とは汝自身の本来の自己と呼びべき
  ものに他ならない。これはアートマンにほかならない。
                            ・・・・・・・・・・・・・
  「タット・トヴァム・アシ(汝はそれである)」のことばは、「アハム・ブラフマー・アスミ(我は梵である)」
  とともに、ウパニシャッドの中心思想をもっとも的確に表現している二大文章として有名である。

      −  インドの思想     川崎 信定 著  −より
        定価 1,650円     日本放送出版協会
                         
                          
  (2012年   1月)   
                  
マ ン ト ラ

    
マントラ[真言]は集中のための非常に簡単で効果的な方法なので、多くの師が(ヨーガ)の学生たちに 
    瞑想の手段としてそれを与える。マントラはたんなる言葉ではない。それは神秘的な性質をもつ音の振動
    で、組織全体を整えて調和させるのに役に立つ。全宇宙は音の振動にほかならない。<神>の身体は、
    音の身体、振動の身体、マントラの身体である。ほとんどの聖典がいずれも同じようなことをいっている。
    −<神>は音、あるいは<言葉>であると。
     聖者たちは、深い瞑想の中で、聖なる振動<オーム>の特定の相を表すこれらの音、すなわちマントラ
    を聞いた。・・・・・・・・それらは言語を作った人々によって作られたものではない。それらは、異なった仕方
    で機能している同一エネルギーの異なった振動なのだ。<オーム>で表わされる一つの宇宙音がさまざま
    な相をもっていて、<オーム>のそうした“切子面”がマントラと呼ばれているのだ。
     マントラをたえず唱えることによって、あなたはそのヴァイブレーションを開発することができる。
    というのは、すべてのヴァイブレーションがあなたの中にあるからである。・・・・・
     すべてのマントラは、一つの共通するヴァイブレーション<オーム>の異なった相である
    最終的な目標は、かの<オーム>すなわち宇宙のうなりを悟ることである。<神>を充分に受け取るためには、
    あなたはよい受信機にならねばならない。もし<神>が音として振動しているなら、それを受け取るためには、
    あなたも類似の音を生み出さなければならない。・・・・・
     そういうわけで、自分自身のヴァイブレーションをよりよく調整するために、マントラを使うとよい

  − 自己を知るヨーガ −

   スワミ・サッチダーナンダ講話録     伊藤 久子 訳
       定価 2,060円    めるくまーる

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